昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの詩:数-神の理性

ファーブルは29歳の頃、コルシカのアジャクシオで「数」という非常に長い詩を書い

ている。数学にのめりこみつつも、博物学とどちらかを選択しなければならなかった

時期である。しかしその詩の内容は、思いを才に任せ書き散らした印象も受けるので

ファーブル自身もどこかに掲載するわけでもなく未刊に終わっている。

ずいぶん後になって懇意の雑誌に全文掲載されたが、もちろん邦訳などはされていな

い。昆虫記第9巻に奥本先生が訳されているがごく一部である。今後も訳してくださる

方は現れないだろうと思われたので、およそどういった内容であるのか読者の方々に

知って欲しいと思い手を付けることにした。奥本先生のような訳はもちろん無理で、

意味の取れない部分、訳せない所は多々あるが、不十分でも進めていくのが小生の

存在意義だと自覚しているので掲載することにした。訳には翻訳を生業としている方

の意見も、翻訳ソフトの力もいくつか借り日本語への変換を試みた。分からない部分

をいくら考えてもキリがないので、あとは時間をかけ今後ぼちぼち見直していくこと

にしたい。ざっと読み直してみても非常にわかりにくく、これは原文の難しさもある

が、小生の力不足が主たる原因であるのでご容赦頂きたい。

ファーブルは晩年に「虫の詩人」として詩をいくつも残しているが、このような長い

ものを他には知らない。若気の至りと言えばそれまでだが、小生には若きファーブル

の世界観、自然観などの片鱗がすでに見えているような気がして惹かれている。

6行詩が37節にもわたっており、物語風で叙事詩というと大げさだろうか。

ファーブルはギリシャ古典を若年時より愛読しており、この詩にも影響を与えている

ように思われる。

 

詩の最後は、「数」は神の理性だ、という言葉で締めくくられる。

小生にはファーブルの思考を充分に理解できないが、神の創造した世界は数によって

律せられており、その数学的法則なりを人間なりに理解することで、ほんのわずか

だが神の思考に迫れる。ファーブルはそこに魅力を感じていたのかもしれない。

一方で、博物学は数学とは一見全く異なる学問だが、やはり神が創ったものを学ぶ

という点では同じである。創造物から学ぶことで間接的に神の思考に近づけるという

思いがファーブルにはあったかもしれない。実際に弟への手紙の中で、博物学を選択

した理由をそのように述べて理解を求めている。

 

しかし、数学でも博物学でも科学でも何でも同様だが、新しい物質や発見があると

大騒ぎになり話題となるが、それは人間が認識できるようになったというだけで、

そのような物質は人や生物が誕生した時から既に備わっていたはずのものであり、

ただわれわれ人間が物質の発見までの間、認識できていなかったというに過ぎない。

したがって研究すればするほど自然の精密さに感嘆し、神の存在を意識せざるを得な

くなる。古来、大科学者と称される人々が信仰を持っていたということは、決して

矛盾することではない。しかし、一方でダーウィンのように神を信じない人もいる。

彼の理論で考えれば生物の存在も進化もすべてが神不在で説明可能だからである。

 

小生はファーブルは一生をその研究に捧げ、そのような人が神云々など考える時間も

なく縁もないと勝手に考えていた。ただひたすら昆虫の研究をしていたのだろうと。

だがファーブルは観察研究を行いながら、身近な昆虫の不思議さに惹かれ続け、また

愛する子供の早逝を経験していく中で、神も来世の存在も信じていた。

少し違うのは(いや大きく異なるのは)、それがキリスト教的世界観と異なっていた

ということなのである。

もちろん昆虫記に表立って自分が自分なりの宗教観を持っていることは書けない。

宗教に関して、キリスト教以外の信仰を感じ取られれば即座に異端として迫害の対象

になり得るからだ、アヴィニョンで受けた仕打ちはもうこりごりだったはずだ。

 

ファーブルは生涯、ダーウィンの理論に反発している。それはそうだ、ファーブルの

思いを突き詰めれば、この世界は神が創ったという方向に向くのが自然で、決して

自然選択などという机上の理論で偶然できたわけではないと信じていたと思う。

昆虫も観察した、たくさんの知見も明らかにした、神の存在も信じている、これらは

並列で成り立つことである。信仰があってもファーブルの科学的業績を胡散臭くする

わけではないことを強調しておきたい。

宗教観は個人的なもので著作で明らかにするものでもないが、昆虫記に自身の思いに

ついてもう少し書けていれば、読者もわかりやすかったかもしれない。

ダーウィンの理論を頭から信じない理由も、昆虫の本能の存在理由も理解しやすかっ

たはずだ。なにせファーブルは本能は生まれつきとしか書かないのだから。

もっと何か説明して欲しいと感じてしまうが、ここに神の一文字があればみな合点が

いく。神がみな創造したのなら、生物の存在も本能の獲得も単純でわかりやすい話に

なる。これこそまさに生まれつきだからという理由に他ならない。

 

ただ前から言っているが、このファーブルの信ずる神がどのようなものかが難しい。

奇蹟を起こし人間と交流可能な人格神ではなく、やはり自然を含むような、自然と

密接な大いなる存在、それをもし神という名で呼ぶのならファーブルの感じる神は

それに最も近い気がする。そこから生物も全てが生み出されてきた、そんなイメージ

ではないだろうか。

ファーブルにとっては熱心に祈りを捧げるような信仰ではなく、実際は宗教と言える

かどうかというくらいの自然に身についた感覚だったのでないかと思う。

しかし自身の行ってきた研究により、常日頃、神の存在を意識させられ体感する結果

になり、自分の考えには確信を得ていただろうから、最晩年にカトリック大司教

ファーブルを訪問しいくら改宗を試みても、その考えが揺らぐことは決してなかった

わけである。

 

「数」

因果を律する数よ、

物事に、いかに、と、なぜ、を与える、

堂々とした数、君は私に何を求めるのか?

永遠の幾何学者はその崇高な頭脳で、

世界を均衡させるため、ある日君を生まれさせたのか?

抗しがたい全能の君を。

 

抽象数、君は素晴らしい論理なのだろうか?

君は全てのものの時と場所を示す調和点の羅針盤なのか?

君は尺度と重量を周囲に放つ不滅の秤、定規であり、

神の論理なのだろうか?

 

君は宇宙から来たのか、穹窿の鍵なのか、

天空に道筋を描きながら星たちを流れに連れ戻し、

奥深い軌道に居る太陽を導き、

虚空における互恵的な愛で諸界のバランスを保つ術を知っている

 

君は、つまり人類にとって「存在」の礎となっているのだろうか?

君は、その頑丈な肩で天を支えるという壮大な想像で語られる

古代の巨神なのだろうか?

時と広がりを調整しながら、激しい競争にある世界が、

根底から狂暴な瓦礫へと崩れていくのを制御している、

それが君だろうか?

 

秩序は君の声で生まれる、秩序とその調和、

その賢明で無限の組み合わせ、

空間の平原に在るさまよう渦巻の速度競争に威厳をもって制動をかける秩序、

広大さに支えられた秩序!

 

広大な天空!崩れろ、無力な穹窿よ、

落とせ、無知な群衆に欺きのヴェールを

空中に浮かぶ紺碧のドーム

窮屈な裾野に土台を持つ、

限られた輝きの天球、その囲いが私を押し潰す、

天空の青いヴェール、無力な穹窿よ、崩れろ

 

余りにも狭い天界を揺すぶれ!

詰め込まれた数、すなわち狂気の巨人が

よじ登ろうとさえしない広大な空間に取って変えろ。

神が住む空間の側面に道をつくる。

その中心と境界は彼だけが知っている。

彼の視線だけが限界を理解できる。

 

ああ!この恐るべき平原を踏むのか、

遠い対岸へ放たれる矢のように飛ぶため、

おお!誰が私に、烈風の翼、または山々に落ち、

それらの頂きを傷つける嵐の際の稲妻の飛翔をくれるのだろうか?

 

しかし雷はあまりに緩慢だ、

また、激しい恐怖で口のきけない思考だけが、

常軌を逸した競争においてこれらの探査を試みることができる。

才気のみがこれができる。一筋の光線が

私たちの瞼から唯一の方法で高みへと昇ってゆく。

 

この脆い橋の上で飛び出せ、私の魂よ、

飽くことなくこの炎の道をよじ登れ、

昇れ、お前の果敢な飛行を常に追い続けるのだ、

熊とその氷の宝庫の向こう側の飛行を、

空を耕す牛飼いを超えて

天の畝間に太陽を蒔く

 

より高く!もっと高く!犂(からすき) の向こう側へ、

雄牛を超え、こん棒やオリオン座の三ツ星を超えて。

おぼろなヒアデスを後目に、乙女の白穂、プレアデスの合唱、

それに獅子の黄褐色のたてがみも後にして。 

 

もっと遠くへ!もっともっと遠くへ!ああ!今わたしは取り乱している、

私は進む、広がりを貪り食いながら進む、

私は行く、そして地平線、私の追い求める夢、

歩け、前へ歩け、謎めいた驚異。

それは逃げる、休むことなく逃げ、めまいを起こさせる、

穹窿の中心は常に私が居るところなのだ!

 

そして極度の恐れに囚われて、私は喘ぎながら立ち止まる。

想像力は激しい恐怖で後退する

無限の平原の前

そこでは太陽が芽吹き、世界が群がる場所、

黄金軸上にあって、システムが循環する

不可思議に結ばれた繋がりによって。

 

星座の世界は過ぎさり、その他の世界が先行する

無限に続く行列の中で、さらに他の人が続く

天の深みから駆け上がる連なりで、

埃の粒よりさらに多くの人が集っている

一筋の光の懐で転がるように

そして竜巻のごとく、壮麗に、輝かしく去っていく。

 

私は実り豊かな地域を離れた。

深い層を持つ星座の

暗い空の穹窿の上で

乳白色の輪郭を描く

ついに私は星雲を離れる

遂に虚空が、今ここに。

 

ここに、ここに虚空とその広大な帝国がある。

ここでは視線にさらされることなく、沈黙の中に

追放されたものがいる、無の墓場だ。

いや、私は何を見ているのか!おお、えも言われぬ神秘。

虚空とは誤りだった、無は寓話なのだ、

すべての空間が満たされて恐ろしいものに変わる。   

 

隠れた遠くの恐怖で青ざめるほど

信じられない深さの中で、

他の浜辺、他の真理が発掘され姿を現す。

その上に、その下に、夕焼け空から夜明けまで、

北から南まで、空は青白い霞となるほどまで白ませてゆく。 

                 (続く)

注)

抽象数学:現代数学の一部門

穹窿:きゅうりゅう、半球形の形、天空

ヒアデス:おうし座に位置する星団

プレアデス:おうし座の星団、ヒアデスともにギリシャ神話にある、日本では昴の名