昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

仏訳「種の起原」ークレマンス・ロワイエ

クレマンス・ロワイエ (Clémence Royer 1830~1902) という女性がいた。

フランス、ナント生まれで将校の父の影響で幼少期にスイスで亡命生活をしている。

科学者、フェミニストフリーメイソン?…どういう肩書がフィットしているのか

わからない。代表作がいくつかあるが邦訳はされておらず、思想の全体像が把握

しにくいのだから仕方ない、フランスでも全集は出ていないようだ。

知る人ぞ知る、小生などからみると相当変わった方に思えるのだが、男性優位な時代

に図書館に通って書籍を読み漁り、主に独学で自分なりの考え方を築いたというの

だから優秀だったことは間違いない。

 

その彼女がなぜかダーウィンの「種の起原」を英語からフランス語に初めて訳した。

他に翻訳の候補者はいたようだが、出版社が決まらない等うまく行かず、結局彼女に

依頼されたようだ。優秀とはいえまだはっきりとした実績もない時期だったから、

訳者に選ばれた経緯は不明である。ただ、既に自分なりの考えを持っていたので、

ダーウィンの著作の中に彼女の視点から見て強く共鳴できるところがあったのは

確かだろう。

 

変わった人というのは非常に失礼な言い方なのだが、彼女の仏訳「種の起原」を一度

でも見たことがあれば、そう感じる人も多いのではないだろうか。

いくら翻訳者になったからといっても、本文前に60頁にもわたる自分の序文を付ける

など聞いたことがない。小生は翻訳業界のルールを知らないが、一般常識で考えて

他人の著作冒頭に自分の意見を長々と付けるというのは反則ではなかろうか。

著者の言いたいことを正確に読者に伝えることが最優先であって、自分の意見や解釈

を発表する場ではない。

 

以前、某フランス有名作家の邦訳が出版された際に、訳者の解説文が本文より前に

掲載されているのを見たことがあり、小生はこのスタイルはどうなのか?と疑問を

感じたことがあった。しかし、この「種の起原」ロワイエ訳はそんなレベルでない。

これほどの長文を掲載してしまう、一体この人は何を考えているのか… 相当な自信家

なのだろうか?と思う。それに、出版社も容認しているのだから大したもので、

それだけ訳者への信頼が既にあったということかもしれない。

皮肉なことに、この異常に長い序文と本文中80ヶ所以上に及ぶ長文の注釈により、

益々厚くなった「種の起原」、この最初の仏訳によりロワイエは現在までその名前を

残すことになった。

 

注:ロワイエについて日本語で読める文献は非常に少ない。

  「進化論」受容の社会的・文化的文脈にかんする学際的・比較研究報告書

    平成14年 京都大学人文科学研究所発行。

  「変異するダーウィニズムー進化論と社会」京都大学学術出版会 2003年刊、

         p46~88 ”ダーウィンを消した女” 北垣 徹著。 

   上記文献は専門的で難しいが詳しい、以下書籍にもロワイエの章があり、

   こちらは一般的で読みやすい。

   「翻訳史のプロムナード」みすず書房 1993年刊  辻由美

 

ダーウィンの「種の起原」は1859年に発表されたが、必ずしも賛同を得て各国に迎え

られなかった。フランスにおいても同様で、カトリック中心の国であるので反発を

招いて当たり前である。生物はそれぞれ神が創ったわけであるから、進化も変化も

することはない。自然選択による進化など神を冒涜するものだと考えて当然だろう。

慎重なダーウィンは、そのような特に宗教界からの反発を非常に心配したために、

著作の発表が遅れたのである。

 

ロワイエはカトリックの神を信仰しておらず、キリスト教的な博愛、平等主義には

賛同できなかった。ダーウィンの言う自然選択、競争の原理が働いて生物は進歩して

いくのであって、その法則にこそ神の存在を感じていたようだ。

競争があり進歩が促され進化する、それが本来の神の創造したルールということか。

しかし、ダーウィン無神論者なので、ロワイエの解釈は不本意だったと思う。

彼女は競争原理を人間にまで適用し、人間社会にもはっきり差があることを認めて

いる。特に家庭内で負担を担ってきた女性について、これからは優秀な女性が活躍

するべきであり、またそういう選択をした者たちが将来生き残っていくのだという。

 

仏訳「種の起原」初版の表題には ”進歩の法則” という言葉が入れられている。

"進歩progrès" は彼女が重視し好んだ言葉だったようで、序文の最後でも行を変え

強調する形で "私は進歩を信じている" と締め括っている。

進歩は進化と置き換えても良いのかもしれないが、競争の中に身を置くことこそ進歩

があるという、まさに彼女自身の生き方を表現しているようだ。

しかし一方で、人間も淘汰選択されて進化するというのは、優生思想にもつながり

かねない考え方である。ダーウィンは人間に自身の理論を適用することには非常に

慎重だったわけだから、このような解釈を知ったらとても驚いたことだろう。

自分が言っていることと違う!と。

実際に仏訳は第3版1870年刊行まではロワイエ訳だが、挿入文の修正、一部削除を

余儀なくされ、それ以降は別の翻訳者が新しく「種の起原」仏訳を担当することに

なっていく。

 

ロワイエについて言及したのは、彼女のバイオグラフィーや著作のことについて

述べたかった訳ではない。小生の関心はいったいファーブルはいつ、どの時期に

種の起原」を読んだのかということなのである。

ファーブルは語学が得意だったが、英語についてはどうだったか分からない。

主にプロヴァンス語、フランス語が使用言語のはずだが、ラテン語も得意だった

ファーブルなら英語も苦にしなかったかもしれない。

(小生のフランスの知人はプロヴァンス語、フランス語のみと言っている)

しかし、たとえ英語がかなり出来たとしても、大部な「種の起原」を読み通すのは

難しかったはずである。仏訳が出たのが1862年なので、読んだのはその頃かもしれ

ないが、当時はアカネ染色の研究など繁忙で、読む時間がどこまであったか疑問だ。

ただ、自分の名が書籍内で引用されていることを知っていたのなら、読み難いなど

言ってられない。1862年刊行の仏訳初版は早々に読破していたと推測される。

 

小生のもう一つの興味は、もしファーブルが英語版でなく主に仏訳初版を読んでいた

のなら、ロワイエによる独自解釈に満ちた序文や注釈も見ていたということになる。

このロワイエの文はファーブルのダーウィン解釈に何か影響を与えたのだろうか?

という問題である。

ファーブルのダーウィン批判の火に油を注ぐ手伝いをしたのか?

それとも訳者の注釈や序文など気にもしなかったのか?

もし多少なりとダーウィンの主張が歪曲され伝わったとすれば残念なことだ。

小生は影響していなかったと考えたいが、これには、ロワイエ序文や注釈付きの

種の起原」の邦訳が必要なので、ぜひ出版して欲しいと常々思っている。

上記注の参考文献によると、ロワイエの仏訳は主要単語の選択にも相当問題があった

ことが指摘されている(生存闘争、自然選択に対する独自の訳語など)。

ファーブルが乱暴な理論と称した「種の起原」に対する印象は、ロワイエ訳でなかっ

たら少し違った捉え方になっただろうか?

 

例えば些細なことかもしれないが、第7章本能のファーブル文献引用部分について、

このロワイエの仏訳初版では、クロトガリアナバチの学名を間違えている。

タキテス・ニグラ Tachytes nigra を Taschyte Nigra と記載されており、ロワイエか

仏訳出版社のミスによることが考えられる。これは仏訳第2版で訂正されているが、

ファーブルが当時英語版を見ておらず、最初に読んだのが仏訳初版「種の起原」なら

著者ダーウィンが間違えたものだと勘違いする可能性はある。

この引用部分について、ダーウィン1850年代にファーブルの論文を読んでいたのは

大したものだと認めるが、ダーウィン自身の理論で解釈されたうえに、ハチの学名も

間違う、もしくは誤植を見逃すとはどういうことか!などとファーブル先生がお怒り

になったとしても不思議はない。

 

また、悪の問題(この世界を神が創造したならなぜ悪が存在するのか)は、前にも

ブログで触れたが、ファーブルは食物連鎖のような食べて食べられるような必要悪で

成立しているシステムは不完全だと考えていた。

神がもしいるのなら、なぜこのようなシステムを創ったのか?と疑問を持っていた

ファーブルにとっては、ダーウィンの説明した理論にこそ神の存在を感じさせられる

というロワイエの意見には賛同できなかったことだろう。

 

現在の仏訳「種の起原」はロワイエ以降の訳者のものが主流である。

ダーウィンの思いとは異なり、ロワイエ序文によって余計に反発を買ってしまい、

ダーウィン理論の受容が当時のフランス語圏で遅れた可能性がある。

そして、ファーブルがダーウィンの理論に賛同できない諸々の要因の中にも、彼女の

仏訳が関係した可能性が残る。

しかしながら、彼女が訳者としてチョイスされたこと、ダーウィンの著書で堂々と

持論を展開しインパクトを残したこと、これらには何かしら運命的な意味があった

のでないかと小生は勝手に考えている。

 

ファーブルが手にしたはずの仏訳「種の起原」翻訳者としても興味はそそられるが、

ロワイエは晩年、生活が窮乏し養老院に入ったにもかかわらず、著作研究活動は続け

たという精神性にも小生は惹かれる。

(上記注参考文献:京都大学人文科学研究所報告書参照)

彼女の個性が強烈なのは明らかだとしても、肝心の思想については知らないことが

ほとんどなので、今後も調べていきたいと思っている。

 

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仏訳「種の起原1862年初版。仏訳初版は英語第3版を元に翻訳。

表紙中段にクレマンス・ロワイエと記載。

目次まで入れて 712頁もある大部な書で、仏訳第3版までにロワイエ序文は60頁から

45頁に削られているが、第2版ではしがき13頁、第3版で3版序文が22頁も追加。

ロワイエは表題も以下の様に大胆にいじり、初版ではお気に入りの進歩progrès と

いう言葉を入れ英題名から大きく変えている。

初版刊行後、批判を受けたため第2版以降は自然選択というキーワードが入る。

フランスではラマルクの影響か、進化に対して伝統的に transformation 変移(変遷)

という言葉がよく用いられる(種の起原 文庫クセジュ 白水社参照)。

英題名:

1859 1st.    On the origin of species by means of natural selection, or the preservation

                   of favoured races in the struggle for life.

1869 5th.    The origin of species by means of natural selection, or the preservation

                   of favoured races in the struggle for life.(onが抜けたのみ)

    「自然淘汰による種の起源ー生存闘争における有利な品種の保存」

              (邦訳は光文社古典新訳文庫 種の起源(上)より引用)

仏題名:

1862 1st.    De l'origine des espèces ou des lois du progrès chez les êtres organisés.

     「種の起源について、あるいは有機体における進歩の法則について」

1866  2nd. and 1870 3rd.

                   L'origine des espèces par sélection naturelle ou des lois de transformation

                   des êtres organisés. 

  「自然選択による、あるいは有機体の変移の法則による、種の起源について」  

    (邦訳は上記注の京都大学人文科学研究所報告書の北垣徹氏論文より引用)

それにしてもどうしてダーウィン先生の表題の命名は長いのだろうか。

却って分かりにくく、取っ付き難い印象になっている。

 

  

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