昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

猫の帰巣本能

昆虫記第二巻第八章において、ファーブルは猫の帰巣本能について言及している。

「わが家の猫の物語」という題にあるように、自身の転居体験と飼い猫の話を交え

ながら帰巣本能に関する話が展開される。同巻第七章が前回ブログで触れた「ナヤノ

ヌリハナバチの新しい研究」という帰巣本能に関わる話で、さらに第九章がやはり

「アカサムライアリの帰巣能力」で、この3章は帰巣本能に関わる話が並んでいる。

 

ファーブル家の猫は代がわりしても同じ名前で、ずっとジョーネ Jaunet という名で

呼んだ。仏語で薄黄色を指し、当初は見たままの色から名前を付けたようだ。

アヴィニョンから迫害されオランジュに転居、さらに家主と喧嘩してセリニャンに

引っ越すことになるが、この際に猫が元の住居に戻ってしまったのだそうだ。

一匹はオランジュに連れて行けず友人の医師宅に行ったのだが、川を越えてアヴィ

ニョン市内を横切りファーブル宅に戻ったとある。染物屋(タンチュリェ)通りと

いう所がファーブルのアヴィニョン最後の住所である。友人宅がどこなのか分から

ないが、その医師の名はロリオルと書いてある。原文は Loriol で、当時の住所録を

見ると医師で似た名前の人は、Lauriol Ernest という人しか分からなかった。

この人の住所はファーブルが住んでいた染物屋通りに非常に近いのでファーブルの

言うロリオルではなさそうだ。

昆虫記によれば、ジョーネが帰ってくるのに、ソルグ川を越えアヴィニョン市内を

横切る必要があったとある。現在のアヴィニョンを地図で見ると、市内にソルグ川

などなくずっと北の方に位置するので、どうも話が合わない。ロリオル医師宅は

アヴィニョンからやや北の方にあったであろうことは分かったが、川の位置が

ファーブルの話と合わないのである。

はっきりしないので、古いアヴィニョン市の地図を探して見たが、市の北側を流れ

る川は、現在はみなローヌ川になっているのだが、当時はソルグ川の名が付いて

いたので合点がいった。

その後、ファーブルはオランジュから終の棲家となるセリニャンへ転居するが、

このセリニャンへ連れて行った猫も、オランジュの住居へと戻ってしまったという

のである。いったい遠い距離をどうやって猫はかえってくるのだろうか?

蜂のように体内時計と太陽コンパスでも利用しているのだろうか。

 

この八章には、猫の帰巣本能についての話とは別に、アヴィニョンを出ていくこと

になった経緯が、ファーブル自身から述べられており非常に興味深い。

頼まれて無償の講義を行っていたのだが、その内容がけしからんというわけで、

カトリック教会から睨まれることになる。前にブログで触れたが、ファーブルを迫害

した司祭の名も分かっていて小生はその人物を調べたこともある。

ただ、問題はアヴィニョンの中だけの問題ではなく、もっと大きな流れ、文部大臣の

デュリュイが行おうとした教育改革とカトリック教会側との激しい対立にファーブル

は巻き込まれていたのである。

デュリュイの失脚とともにファーブルも後ろ盾を失ってしまうが、しかしながら、

このアヴィニョンの辛い経験がなければ、セリニャンへファーブルが転居して研究

に打ち込んでいたか分からないのだから、人生とは不思議なものである。

ファーブルマニアとしては、当時の教会の対応に反感をもってしまうが、結果的に

セリニャンの地へ向かうきっかけとなったのなら、ファーブルには申し訳ないが

感謝もしなくてはいけないかもしれない。

昆虫記第二巻第八章「わが家の猫の物語」冒頭部分。

1882年9月11日の日付。


同巻同章最終ページ部分。

下から訂正部分を入れ10行目右にダーウィンの字が見える。

訂正部分は調べてみたが次章の冒頭部分と判明した。

ファーブルは章ごとにページを変えるので、この部分は八章内に書く

つもりだったと思われる。長くなりそうなので次章に回したのか、

それとも次章の書き出しに使う方が良いと判断したのか?