ボタン穴の赤いリボンと灰色の口髭で、彼の風采は重々しくかつ立派なものだった。
ピエール大尉はその村では強い印象を与える人物の一人だ。
年のせいで太ってしまい、アフリカでベドウィンの鉄砲玉に当たり、現地に残して
きた片足に代わる木製の義足をつけていたにもかかわらず、いろいろな事を知って
いた。この年老いた大尉は進んで学問や思考の成果を周りにまき散らした。
彼の二人の孫の男の子たちは、彼の家に休暇を過ごしに行くのだが、祖父の知識を
教えてもらって自分たちの勉強の役に立てたいつもりだった。
年長のアンドレは、次のブドウの収穫の頃には13歳を迎える予定だった。
この少年は、勤勉で、よく考え、言葉にして口から出す前にその思考を熟させた。
二つ下の弟ポールは鋭い質問を発した。彼はその年の子らしい軽率さがあったが、
その小さな欠点を性格の良さで補った。
彼らはすべての事に興味を示す二人の純朴な村人であったが、祖父が話をする時は
特にそうだった。
彼らと同じようにしてみよう、いろいろな事を少しずつ教えてくれる年を取った
大尉の話に耳を傾けてみよう。
注:
この文は未刊原稿の最初のページの序文部分である。
子供たちに、いろんな経験をしてきた年寄りが教えるという設定にしている。
前後したが、天然痘などの文は未刊原稿の中の中盤位に出てくる話だ。
ピエール大尉はやはりファーブル自身の投影であろうか?
大尉は義足という設定だが、ファーブルも杖をついていたので連想させられる。
年長のアンドレはやはりファーブルが最も愛した息子ジュールだと思われる。
ジュールの名は正式には、ジュール・アンドレ・アンリ・ファーブルである。
16歳5ヶ月で早逝しており13歳時は1874年だが、ポールの名前も出てくるので、
この原稿はジュールの亡くなった後で、ポールが小さい時あたりに書かれたのかも
しれない。ポールは1888年生まれだから、これ以降となるとファーブルは65歳を
過ぎていたことになる。
子供たちの特徴をファーブルが直接評しているのが非常に興味深い。
ジュールはやはり思慮深かったようで、ファーブルが愛したのも納得できる。
ファーブル先生はこれらの原稿を書いている時に何を考えていたのだろうか?
ジュールがもし生きていれば、まだまだ教えてあげたかったようなことを、
あれこれ思い描きながら、原稿に向かっていたような気がして仕方がない。