昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

コルシカ島ーレヌッチからの手紙

ファーブルはコルシカ島赴任中にコルシカの貝類学および植物学についての出版を

計画していた。そして地元の協力者を得て貝や植物などの収集に励んでいた。

美しい自然を前にしてファーブルの若き探究心は無限に膨らんでいたことだろう。

まだこれといった業績も無い一介の物理学教師なのだから名を馳せるような野心も

少しはあったのかもしれない。

しかし、その夢はマラリア罹患によって潰えることになる。

さすがのファーブルもマラリアの洗礼を受けることになったのだが、療養を余儀なく

されて、さぞや歯がゆい思いをしていたことだろう。

 

元教え子で標本収集の協力者であるレヌッチとの手紙のやり取りが残されている。

フランス本土でマラリア療養中のファーブルは彼からの手紙を受け取り、嬉しさか、

悔しさか、懐かしさか、又は美しいコルシカ島での日々を想ってか、布団の中で涙を

流したという手紙は以前のブログで紹介した。

コルシカ島のファーブルーレヌッチへの手紙 参照)

レヌッチからファーブル宛にいくつも手紙は送られたと思うが、自然史博物館に

残されている二通について、今まで紹介されたことがないので掲載しておきたい。

内容は大したものではないが、小生のようなファーブルマニアには興味深いと思う。

 

一通目は上記参照ブログで紹介したファーブルの手紙の日付から一ヶ月後のもので、

コルシカ島アジャクシオからカルパントラ在住のファーブル宛に送られている。

まだオランジュの弟のところで療養していたと思われるが、ファーブルはすでに

マラリアからかなり回復していたと思われる。

 

レヌッチの情報は少ないが、名前はミシェル・レヌッチ (Michel Renucci) でないか

とされている。アジャクシオ中央通りに住んでおり、パン職人の息子だったようだ。

1851年の時点で18歳でファーブルの元教え子の一人。

おそらく若きファーブル先生の薫陶を授かり自然科学に対する興味を持ったはずだ。

 

アヴィニョンの学校でも後に名を残している教え子がファーブルには三人いて、

晩年まで交流が続いた。もちろん無名の生徒達ならもっとたくさん居ただろう。

どうしてファーブル先生はそれほど人気があったのだろうか?

教え方なのか人柄なのか、それとも課外授業のように一緒になって昆虫採集などに

出かけ身近に感じられたのだろうか。

彼らとのやりとりをブログで紹介できれば、少しずつその謎が解けるかもしれない

と考えている。

 

 

親愛なるファーブル先生             1852年3月24日アジャクシオ

 

今頃きっと先生はわたしたちのことを怠慢で無気力で…と、およそ考えられる多くの

侮蔑の言葉でもって非難されていることでしょう。

しかし、お慈悲を!

そのように厳しくなさらないでください、すこしお聞きください、そうすれば先生も

考え直されるのではないかと思います。

 

わたしが先生の手紙を受け取ったとき、発熱が続いたため病床におりました。

その後、医者はぶり返す恐れがあるとして外出を禁止しました。

わたしはそれに従いましたが、家で読書以外に何をしようというのでしょう?

毎日を小説や新聞を読むことに費やしました。

ある日、わたしはコルシカの新聞の片隅に次のような告知を見つけました。

『能力資格証の志願者のための試験が3月1日に行われる』

今となっては、その時なぜこの試験に挑戦しようと思い立ったのか思い出せません。

試験科目を取り寄せましたが、何のことかわからないものばかりでした。

聖史、教理問答書…

どんなに恐れたことか想像なさってください。それにも拘らずわたしは向こう見ず

を押し通して、この未知の動物たちに手をつけていったのです。

 

したがって3月1日わたしは他の69人のライバルたちと共に試験場におりました。

そしてこの中で2番目の成績でした。今わたしには初級資格があり上級資格に挑戦

する権利があるのです。それが7月に受けようとしている試験です。

練習のつもりでなどとはお考えにならないで下さい。

しかし万一あとになってわたしが何の雇用口も見つけないままだったら、少なくとも

わたしは恐るべき初等教育の現場に身を投じることができるわけです。

 

試験が終わり、また発熱が始まりました。しかし今度は身体全体の熱ではなく、ある

部位の熱で、それが耐えられない痛みと共に朝目覚めの7時から始まり、日が落ちる

まで続くのです。キニーネのおかげで10日後にはおさまりました。

それからわたしは植物と貝殻のコルシカ語名の調査を始めました。貝の方はすべて

わかりましたが、植物の方はそうはいきませんでした。名前を知るために実物が手に

入るのを待ったのです。

 

わたしは新たに採集に行くつもりです。そしてある程度の数が集まったら、

今は送れない頭足類のスケッチも添えて、それらを先生にお送りします。

なぜ今は送れないかというと、ボコニャーノ神父にキュヴィエの本をあげてしまった

からです。(続く)

 

注)

レヌッチもマラリアに罹患していたようで、当時地中海周辺でいかに流行していた

かが窺える。

キニーネマラリアの特効薬、1852年は合成に成功しておらずレヌッチが使用

     したのはキナの樹皮から抽出されたものか。

頭足類(とうそくるい):イカ、タコ、オウムガイなどの軟体動物の総称。

            保存できないためスケッチを依頼した。

キュヴィエ:フランスの博物学者(1769~1832)、軟体動物の解剖に関する書籍を出版

      しており、頭足類のスケッチで参考にするようファーブルはレヌッチに

      伝えていた。

 

f:id:casimirfabre:20191013224354j:plain

 コルシカ島アジャクシオ

f:id:casimirfabre:20191013224549j:plain

 アジャクシオ、埠頭

  

世界史の中のマラリア―微生物学者の視点から

世界史の中のマラリア―微生物学者の視点から

 

 

コルシカ島 (文庫クセジュ)

コルシカ島 (文庫クセジュ)