昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

コルシカ島のファーブル:ルキアンへの書簡(続)

引き続き、ファーブルのルキアン宛て書簡の中から内容を紹介していく。

すべての書簡を紹介出来れば一番良いのだが、特にファーブルの心情の表れている

ものを抜粋した。残念ながらファーブルが受け取ったはずのルキアンからの書簡は残

っていないようだ。

 

「1849年8月28日、カルパントラからボニファシオに宛てた4通目の書簡」

  今まで差し上げた手紙にあなたはうんざりされているのでは、またあなたの善意に

私が乗じていると思われているのでは、と危惧しております。自然科学に没頭できる

ために成功のうちに数学の勉強を終わりにしたい、という激しい欲望が私をそのよう

にさせている訳でして、それは自分がこのような立場にあると自覚するからです。

ところで、多くの友人たちがアヴィニョンの ”専門部門” の教授ルロワイエ氏が、この

件について私に適切なアドバイスをしてくれるのでは、と言っております。

最近、ブールギャレル氏の初級数学の教授職が空きになっているということを聞きま

した。そこで、エックス地域アカデミーの視察官とブウダン氏へあなたの持っておら

れる影響力を使って、私がその職に就けるようにして頂きたいと嘆願いたします。

あなたとご一緒させていただいた幸福な期間は短いものでしたが、あの時私が感じた

高く尊敬すべき信頼の念なしには、このようなお願いを思いつくことはできませんで

した。どうぞこの慎みのないお願いをお許しくださいますよう。

 

深い尊敬の念を持って、あなたの忠実で慎ましいしもべより。

J.-H. ファーブル

 

1850年7月29日、アジャクシオからアヴィニョンに宛てた12通目の書簡」

 モンテ・レノゾ(島中央2000m級の山々)についての情報のご提供ありがとうござい

ます。早速利用したいと思います。明後日私は出発いたします。

~中略~

 私はカルパントラから最も嬉しい知らせのひとつを受け取りました。あなたが私の

ために尽力されているとのことでした。どのようにして私はあなたへの感謝の意を

お伝えできるでしょうか、できそうにありません。ここの中学校の建物はひどい状態

に破壊されてしまいました。来年私の教職が確保されているかどうか分かりません。

私のクラスを含めクラス閉鎖や減給が話題になっています。そうなるかどうか分かり

ませんが、少なくとも可能性はあることで、いずれにしても私の最も大きな希望は、

多くの理由で両親の自宅に近いアヴィニョンにできる限り近い場所で就職すること

です。大学教授資格受験の準備をするのに必要なものはここにはなく、私は本土で

やっとたくさんの援助を受けることができるでしょう。ルキアンさん、従いまして

この状況下で私に救いの手を差し伸べて、私のために動いていただくことを大変

有難く存じます。あなたが手紙に二行で書かれたことを私は読まなかったことに

したいのですが、というのはそれは私には確約できないことだからです。あなたは

バステリカ(レノゾ山西南部でアジャクシオの東20㎞)小旅行のあと私にアヴィニョン

来訪を希望されています。海を渡ってそちらに行き、あなたと一緒の時間を過ごす

こと、また一年もの間私を待ち続けている父や母に会うことが、私にとっていかに

喜びであることかは神のみがご存知です。このまま変更がなければよいのですが。

私は旅行を諦めていますが、それはみっともないのですが大きな理由、家計の問題が

あるからです。

 長々と書き連ねてご迷惑をおかけしたこと、またお願いごとをしたり、取るに足ら

ないことを読んでいただくなど、あなたのご好意に甘えてしまい失礼いたしました。

明後日バステリカに向けて発ちますが、少なくともレノゾに一週間は滞在するつもり

です。戻りましたら小旅行での成果をお伝えいたします。

 

 ファーブル夫人があなたの貴重で素晴らしい思い出に感謝の意を示し、あなたが

コルシカ島から私たちを引き戻して下さり、私たちの心からの敬意をお受け下さる

ことを望んでおります。

 

あなたのしがない忠実なしもべとして。

J.-H. ファーブル 

 

1850年8月21日、アヴィニョンに宛てた13通目の書簡」 

  私はバステリカに二週間、レノゾに二日間滞在して戻ってきたところです。

植物をいっぱい採集してきました。今までは植物を定義づけるのに十分に完成した

文献がないため、種類を拠り所にしなくてはいけなかったのですが、これも私は

あなたにお会いしご覧いただいて何であるかを教えていただくのを待ちきれない

思いです。あなたの忠告に従って、コルシカミントをたくさん採集しました。

キク(トメントサ種)、ムギワラギクなども忘れませんでした。すべての植物の中で

専門用語はここでは場違いかと思いますが、注目されるものをいくつか挙げさせて

ください。ここではフォンテ・デリア・ニヴァラと呼ばれている泉の傍らで、大きな

円形でギザギザした葉を持つ素晴らしい黄色のスミレを見つけました。

~中略~

 アジャクシオにて私はキク科セネシオの上に新種のカタツムリを見つけました。

それはカルトジオカタツムリの形状と同じで、殻中の生き物( 原文は l'animal、軟体部

のことを指している) は白で黒い斑点がありました。螺旋状渦巻の一番外側は見事な

幅広の白い縁取りがあり、続く螺旋は不規則に途切れていて殻の表面がマーブル状に

見えました。殻の入り口はピンク色で内側に折り返しがありました。生き物の住まい

となった殻は琥珀色で透き通っていました。私は生き物入りの殻を10個ほど採取しま

した。これは新種でしょうか?滅多に見ない個体でしたので私はそう考えるのです。

 最後を私たちの哀れな中学校の話で締めくくることになることをお許し下さい。

市議会は中学校の教員の身分を三等級に引き下げたばかりです。教員たちの報酬は

半分に減額されました。物理の授業は哲学の教師が兼任することになりました。

私はしたがってアジャクシオで失業したのです。今、私のすべての希望はあなたに

託されています。私の将来をあなた以外の誰に託すことができるでしょう。

アジャクシオですることはもう何もなくなった以上、ファーブル夫人が現在の健康

状態(妊娠後期で10月に出産)で海を渡ることに支障がなければ、私は直ちに本土へ向

けて発ちたいところです。

ともかく様子をみることにしますが、たぶんヴァカンスの終わりが来る前にあなたに

お会いする幸福が来るのではと考えます。

 

深い尊敬の念を持って、あなたのしがない忠実なしもべより。

J.-H. ファーブル

 

ファーブル夫人の敬意を表する賛辞を受け入れて頂くようあなたにお願いすること

なく手紙を閉じることができません。

 私は知事宅を出てきたばかりですが、今回市議会が私たちに下した恥ずべき無効な

決定に抗議するため、校長殿が私たち全員を知事宅に集合させたのです。

私は額が赤くなり、心は憤りに満ちました。ああ!お願いです、私をコルシカ島から

引き戻して下さい。自分の運命の星とあなたの庇護を信じて、もしファーブル夫人が

旅行を望むのであれば火曜日に私は発ちます。

 

(p.s)

ルキアンと知り合った年の書簡と約一年後のものを掲載した。

この内容からコルシカでの教育現場の危機的な混乱が明らかになっている。

1850年3月に教育制度の法令であるファルー法が可決されたことが関係しているのだ

ろうか?教育の自由化に危機感を持った保守派、聖職者らが教育現場に対し関われる

環境がこの法令によって整ったのである。これにより保守派と共和主義の対立が鮮明

になった。当時の学校教員に共和主義者が多数派なら対立することは明らかである。

公教育の義務化、世俗化、無償化は大事な原則で、教会主導の学校教育となれば教員

らはさぞかし反発したはずだ。教育と宗教の分離は後に文部大臣になったデュリュイ

が取り組むことになる問題である。デュリュイは失脚するがその後の教育改革に大き

く貢献している。

また、ファーブルが強く本土への復帰を望んでいたことも意外だった。

書簡の内容は、一般的なファーブル先生に対するイメージとはかけ離れている印象で

ある、というか生身のファーブル先生を小生らは決して知り得ないのだから、勝手に

理想的なイメージをこちらが作ってしまっているのだろう。だから、このような肉声

と言える本音を知ってしまうと驚かされてしまうのだと思う。

さらにもう一つ驚いたのは最初の書簡の "自然科学に没頭できるために成功のうちに

数学の勉強を終わりにしたい、という激しい欲望....."  という部分だ。コルシカに赴任

して間もない時期に、すでに自然科学に没頭したいという強い願望をファーブルが持

っていたとは知らなかった。博物学への道を後押ししたモキャン=タンドン教授から

受けたあの解剖の授業は単なるきっかけで、実はずいぶん前からその萌芽は芽生えて

おり抑えきれないほどに育っていたようだ。

 

ファーブル伝

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わたしはイモムシ—I, Caterpillar

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