昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

コルシカ島ーレヌッチからの手紙(続々)

レヌッチからファーブル宛のもう一通の手紙は1853年11月8日の日付である。

一通目の手紙から1年8ヶ月も離れている。

この間どの程度やり取りがあったかは不明である。

ファーブルはマラリア回復後に約束通りいったんコルシカ島へ戻るが、数ヶ月で

アヴィニョンの高校へ転勤辞令が出された。

最終的には1849年1月から1853年1月の4年間というコルシカ島滞在となった。

 

この間、植物学者ルキアン(1852年コルシカで脳卒中にて急逝)と交流を深め、

モカン=タンドン教授からはカタツムリの解剖を通じて博物学へ導かれた。

ファーブルにとってマラリアに罹り、貝類や植物学の出版計画が頓挫し島を

離れることになったのは不完全燃焼だったが、その後の進むべき道がはっきり

する契機となった。

 

  親愛なるファーブル先生        1853年11月8日 アジャクシオ

 

ロットロが明日エクスに発ちます。わたしはこの機会を利用して、先生に小さな

密閉した木箱をお送りします。小さい木箱には卵がいくつかと昆虫たちと、それに

フラスコが4本、このうち3本は貝殻が詰まっており、後1本は昆虫、そして最後には

小さな包みがいくつかです。もう少し豊富な内容にしたかったのですが、本当に少し

しか送れません。

というのも、わたしは自分の地域にいる最も珍しい貝のことに精通していますが、

父がもうしばらく前から病気でして、そのためいつも忙しくしています。

もう少ししましたら、持っているもののほとんどをお送りするつもりです。

 

ところで、先生の博士号取得のための試験について少し教えて頂けませんか?

もう試験は終えられたのでしょうか?先生はきっと長いこと苔の洞窟のタマヤスデ

を持っておられたでしょう。しかしあの有名な多足類はワラジムシ類でしかありま

せん。ですからわたしは先生にそれをお送りしなくていいと思っていたのです。

 

わたしはたいへん忙しくしております。

先生と一緒にいられる時間はもうありません。

どうぞ先生の近況をわたしに教えていただくことをお忘れなく、それはわたしには

貴重なものなのです、ご存知と思いますが。

ファーブル夫人にはわたしからの千の良いことをお伝えください、そしてかわいい

おしゃべりなお子さんには小さなキスを送ります。

そしてあなたには、親愛なるファーブル先生、あなたの忠実な友であるわたしの誠心

誠意からの抱擁をお受け取りください。

 

お伝えするのを忘れていましたが、わたしは8月に上級修了証を取得しました。

今、科学バカロレアを受ける準備をしており、うまくいくことを願っています。

レヴィが、先生そしてファーブル夫人にお幸せに、と言っております。

それで、本はどうなりましたでしょうか?

 

注)ロットロ:アジャクシオの建築家

  エクス:南仏の古都

  タマヤスデ:Glomeris

  ワラジムシ:cloporte

       バカロレア:ナポレオンにより導入された中等教育認証の国家資格

        普通バカロレアの中に科学系がある。

  レヴィ:元教え子、標本収集の協力者の一人

 

レヌッチからのこの手紙は一通目に比べると、微妙な距離感が感じられる。

コルシカを離れすでに10ヶ月が経過し、もう二度とファーブルがコルシカへ戻る

可能性がないことを彼も十分に承知していたからである。

 

ファーブルは5月には三女アグラエが生まれ、アヴィニョン高校での新しい教員生活

も始まっているが、レヌッチ君もまたファーブルとの交流は継続しながらも、試験を

受けたりしており前向きに進んでいることがわかる。

何とかファーブルロスを乗り越えて将来の設計を立てていたのだろう。

 

多足類の話が途中で出てくるが、ファーブルの学位論文の動物学の方はヤスデ

生殖器の解剖なので、コルシカ滞在時にすでにその着想はあったのかもしれない。

そして手紙の最後に、本は?とファーブルに聞いている。

これはコルシカの貝類学についての出版の話はどうなのか?という意味である。

レヌッチは貝類のリストなどの資料もファーブルに送っており、協力者の一人として

出版されることを強く願っていたのだと思われる。

 

ファーブルは結局、モカン=タンドン教授の軟体動物に関する著書(1855年刊)に

協力して名前は残したのだが、自身の出版については成就しなかった。

(ブログ:コルシカ島のファーブル 参照)

やはり自分がコルシカを離れてしまったことが大きかったのだろうし、それほど

売れるような内容の書籍でもないので、出版に必要なコストの捻出も厳しかったと

想像される。

 

ファーブルはコルシカでの観察記録や未刊原稿をずっと残しており、レヌッチ君ら

協力者からの手紙や軟体動物のリストも保存していた。

出版を諦めたとはいえ、若き日に情熱を傾けた研究なのだから、手放すことなど

とてもできなかったのだと思われる。

 

そしてアヴィニョン時代の生徒の一人は動物学者になっていて、彼には軟体動物に

関する著作がある。当然、コルシカでのことをファーブルは熱心に彼に話していた

はずなので、何かしら影響を与えたのだろう。

島での経験や資料収集が、もし教え子を動物学者へと導いたのなら、コルシカでの

研究も役に立ったということになる。

このアヴィニョンの教え子の動物学者については、名を残しているのでまた別の機会

にブログで紹介したいと思う。

 

 f:id:casimirfabre:20191027010152j:plain

「Histoire Naturelle des Mollusques」Moquin-Tandon 1855 より引用。

(フランスの軟体動物の博物学 モカン=タンドン著)

タツムリを図のように解剖しファーブルに即席の講義をして見せたのであろう。 

f:id:casimirfabre:20191027010058j:plain

下段37番が Helix Corsica

ファーブルが協力したコルシカ島の標本と思われる。

 

貝類学 (Natural History)

貝類学 (Natural History)