昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

コルシカ島のファーブル:ルキアンへの書簡(続々)

コルシカ時代にファーブルからルキアンに宛てられた書簡は23通残っている。

ファーブルの動向を知るにはとても参考になるのでもう少し続ける。

 

1850年10月13日、カルパントラからアヴィニョン宛て、17通目の書簡」

拝啓

 カルパントラの数学教師エイセリック氏が退任されたということがはっきりいたし

ました。その一方で、私はアジャクシオから二通の手紙を受取りましたが、それに

よれば中学校は去年あった場所と同じ所に再建される可能性が高いとのことです。

エイセリック氏の後任がすでに決まっている場合、その方に私との相互配置交換を

提案できないものでしょうか?もちろんその方にとっては1800フラン(19世紀1フラン

千円換算で180万円)のアジャクシオの職のために1300フランのカルパントラの職を

放棄するのは、内容がどのようなものであっても容易だと思えるのですが。

(本土とコルシカを)行き来することが殆ど不可能な現状の私としては、このような

犠牲も受け入れざるを得ないのです。もし大学区長殿にお会いする機会があれば、

どうぞこの事をお話し下さいますようお願いいたします。大学教授資格を取って高校

での教職を得るまでは、私の両親、あなた、それにフェロー氏の近くに居られる職の

方が他の職より好都合なのです。

 いずれにしても、私は自分の受験勉強に何の可能性も見いだせないコルシカに戻る

つもりはありません。それゆえ中学校に戻ってみたところで、去年と同じ身分を保証

されてもらっても、私は(コルシカへ)発つ決心はできません。

 私はあなたのブウダン氏に対するご好意に満ちた働きかけで良い結果が出るように

切望します。幸せな思いになるにちがいない結果を… ~略~

 

1850年11月18日、アジャクシオからアヴィニョン宛て、19通目の書簡」

拝啓

 私は妻が傍にいないために起こる困り事にあまりに耐え切れなくなって、そのうち

本土に戻れるはずという固い信念にもかかわらず、すぐにでも彼女を呼び寄せようと

思っています。もしあなたの親切なご支援のおかげで私の強い希望が実現すれば、

いくらかの出費と引き換えに困りごとから脱け出られるのですが、少なくとも私に

とって耐え切れない孤立感を避けられるのです。したがって私の妻は11月28日に出発

することと思います。彼女はアヴィニョンに立ち寄った時、あなたに会いに行くで

しょう。

 私はアジャクシオ周辺のキノコの研究を始めました。自分で出かけることもあれば

市場にキノコを持ち寄ってくる女性たちの助けを借りることもありますが、すでに

かなりの種類のキノコを集め、保存ができないので出来るだけ忠実な描写を心がけて

おります。分類付けをするのに私はラマルクの概要しか持っておりません。殆どの

種類のキノコがそこに記載されていなかったり、あっても記述が簡潔すぎたりで、

これだけに頼るのでは大部分のキノコの分類付けが出来ないのです。

もしよろしければ、この地域の植物の一覧をお見せしたいのですが、キノコについて

何でもよいのですが私の体験で判別ができる程度の文献をお貸し下さいませんでしょ

うか。またすべてのカテゴリーの隠花植物(花をつけない、シダ、コケなどの植物)に

つきましても、同じようなお願いをしたいのですが。

 この地では、私は何人かの若者を貝類学の研究に引き込み、彼らの支援でとても

興味深い種を時々見つけることができます。ご褒美に私は先のヴァカンス中に採集

した陸生動植物の標本コレクションをいくつかあげました。もしあなたが何か標本で

多すぎるほどお持ちのものがあれば、ヘリックスメラノストーマ(陸生カタツムリの

一種)はじめ何でもいいですから、私の妻があなたにお会いする際にお渡し下されば

嬉しいです。

 もう長くなりましたが、預かった手紙はそれぞれの場所に届けました。どの方も、

あなたへくれぐれもよろしくお伝え下さい、とのことでした。また、預かった小包は

ボニファシオに送られました。私はミッシェリエ氏にお会いしました。彼はきっと多

くの発見をされたと思っていたのですが、全く間違っていました。彼は何ももたらし

てくれなかったのです。

 ああ!コルシカが私に重くのしかかる。ルキアンさん、いつ私はあなたや私の両親

の近くに行くことができるのでしょう。

 

深い尊敬の念を持って、あなたのしがない忠実なしもべより。

J.-H. ファーブル

 

「1851年5月2日、アジャクシオからバスティア宛て、23通目の書簡」

 拝啓

 私はあなたがルコック氏とお近づきになれる機会を作って下さったことに感謝いた

します。彼がアジャクシオをあれほど早く発たれたのはひどく残念な思いでした。

私は彼がここでゆっくり時間をかけて植物採集できるように滞在されることを願って

いたのですが。海が荒れていたため、私たちはサンギネールへの遠出は出来ませんで

した。二回採集に出かけましたが一度はグラヴォナの砂浜でヘリックストリスティス

(カタツムリの一種)の採集を十分にされ、最後にもう一度ギリシャ人教会の丘で行い

ました。私は自分がこの地に来て以来採集したものや陸生の貝類をルコック氏と分け

合いましたが、それは彼自身のコレクションに加えられたわけで、短い滞在にしては

かなりのボリュームとなりました。彼はアジャクシオから大変満足して発って行きま

した。

 私は大学区長殿にお会いしましたが、彼はあなたの事を話され、あなたが私にやり

たいと望んでおられた地衣類を私に届けさせました。あなたのご推薦のおかげで、

これには本当に感謝いたしますが、私は我々の新任大学区長に支援をいただけるかも

と期待しています。あなたのご支援のおかげで、貝類の研究は日ごとにアジャクシオ

に広がっています。私は若者たちの間でこの研究の面白さが広がるよう努めたつもり

ですが、どうにか成功したのではないでしょうか。もしこの研究に取り組む多くの人

たちがガイダンスとなる、コルシカに生息するすべての種の記述が載ったちょっと

した基礎的な文献、マニュアルみたいなものを持っていれば、すべては驚嘆すべき

ことになるでしょう。数々の活動をされているあなたですが、もしこの種の小冊子の

編集に少しの時間を割いていただければ、多くの人たちからの心地よい喜びを受取ら

れることでしょう。あなた以外の誰がこのちょっとした仕事をやり遂げられるでしょ

うか。あなたはコルシカ中を歩き尽くし、注意深く研究し、新種に名前を付けられま

した。残っているのは一つの忍耐のいる仕事です。うんざりする仕事であるのは確か

で、したがってあなたがこれに着手するのを想像すると絶望しますし、またたいへん

残念にも思います。私には無力ですが、しかし博物学を普及させたいというやる気は

十分にありますので、あえてこの分野での研究に着手しました。それはとても基礎的

なもので、海の砂をより分けに行く時に携えるマニュアルです。生物についてできる

限りの正確な描写があり、手を取って属へ、属から種へと導いてくれる分析の鍵と

いうマニュアルです。私は今までに採集することができなかったいくつかの珍しい

生物を除いては、これを実践しました。もしあなたがこの仕事がコルシカにとって

有益であると思われるなら、また私が止めても構わないとあなたがお考えなら、一言

お言葉を下さい、そうすれば私はすぐに仕事に取りかかるでしょうし、そうでなけれ

ば、後悔の念など微塵もなく、すでにやった事を私は火の中に放り込むでしょう。

無益で無謀なことか、または良い案か、私は続けた方が良いか、それともすでに終え

た若干の部分は火の中に放り込むか、あなたとして是か非か、私は続けるべきか、

諦めるべきか、決定はすべてあなたにお任せいたします。

もし私が続けなければならないとした場合は、私の手元には不足している素材も多く

私はあなたを当てにしていることを心に留めておいて下さい。私はフェロー氏に手紙

を書いて、ルリソウ属の生息地を尋ねます。あなたがご所望の植物については出来る

だけのことをいたします。

ファーブル夫人は私と共にあなたへの尊敬の念を表し、あなたにこの地で再会したい

と切望しています。私たちの小さな子はたいへん元気で、片言でたくさん話をし、

パパ、ママと言っては私たちを喜ばせております。

 

あなたに忠実で尊敬を捧げるしもべより。

J.-H. ファーブル

 

(p.s.)

最初の書簡はずいぶん強引に思える手紙である。教師の空きが出ているから紹介して

欲しい、すでに決まっていれば自分のコルシカでの仕事と交換できないかとルキア

に頼んでいる。しかもカルパントラの方がコストが下がるのだから、こちらが犠牲を

払うのだとまで言っている。ファーブル先生にしてはずいぶん強引な気がするが、

それほどまで追い詰められていたのかもしれない。赴任当初から希望していながら

本土復帰が実現していないのだから、さすがにしびれを切らしているのだろう。

前回のブログで書いたあの荒れた中学はどうなったのだろう?校舎は建て直されると

書いているし、ファーブルは給与を貰っているようなので教職には就けていたという

ことになる。

二通目書簡には辛い状況でもコルシカで協力者を作り、貝類などの収集を行っている

ので前向きな状態ではあるが、博物学の啓蒙というより自身の貝類収集のために手伝

わせているような言い回しも少し気になる。ルキアンに彼らへの褒美になる資料を

要求しているのもどうだろうか。またキノコの研究も始めており、コルシカ時代に

すでに保存できないキノコを描写していたとは知らなかった。現在残っている見事な

キノコの絵は1890年前後のものである。

 

最後の手紙はコルシカ北部の港町バスティアに宛てられている。同月にルキアンは

南端のボニファシオで急逝しており、彼がファーブルの書簡を読んで返信していたか

どうかは分からない。ただまとまって書簡が残っていたということは、ルキアンが

所持していた可能性は高いかもしれない。

ファーブルは自分が書籍を出して良いかどうかルキアンに問うているが、ニュアンス

は決してノーは受け入れ難いといった物言いで迫っていて、こちらも相当に強引で

ある。おまけに出版にはルキアンの資料も当てにしていると言っている。

本来はルキアンが書くべきだが、いつまで経ってもあなたが出版しないから、自分が

書きますよ、賛成してくれないなら資料はみな処分しますと、これでは悪く取れば

脅迫に近いのではなかろうか。

まだ無名の中学教師が博物学という道で、何とか業績を挙げたい、有名になりたい、

大学教授の足掛かりにしたい、という気持ちが透けて見えると言ったら小生の言い

過ぎだろうか。しかし、これらはみな若きファーブルの学問への情熱からのもので

ある気がする。彼が心に抱いていたものは小生の貧弱な想像などはるかに超えて、

激しい欲求から出てくる言動は他人から見れば強引すぎると感じられるのだろう。

 

しかし、ファーブルは熱病で貝類学の出版も頓挫してしまい、本土に帰ったあとは

協力者の若者たちとも急速に関係は希薄になっていく。

以前のブログで触れたが、協力者の一人レヌッチ君には早くコルシカに帰りたいと

ファーブルは書き送っていたが、ルキアンへの手紙を読んでいると、さてそれは本当

の気持ちだったのだろうか?などと疑り深い小生は考えてしまう。彼らには引き続き

研究資料を送って欲しいという、ただそれだけを思ってのことだったのだろうか、

それともコルシカ復帰の意思を明らかにすることで、再会を心待ちにしている彼らに

希望を残すファーブル先生の優しさだったのか。

レヌッチ君以外の協力者の書簡も残されているので、こちらもまた機会をみて紹介し

考えてみたいと思っている。

 

それにしても、二通目の ”ああ!コルシカが重くのしかかる” という部分は、小生には

非常にショックな言葉である。ここまでファーブルを追い詰めたのは何なのだろう?

資料は必要、でも島では勉強は進まない、両親の傍にも居たい、いろいろ理由らしき

ものは考えられるが、やはり南仏の住み慣れた場所を拠点にし、大学教授を一刻も

早く目指したかったのだろうかと思う。

 

(参照)

アンリ・ルコック(Henri Lecoq 1802~1871) :植物学者、1855年のファーブルの学位

論文植物学編でファーブルはルコックに献辞を述べている、ちなみに動物学編の方は

モキャン=タンドン教授。フランス中央のクレルモン=フェランにアンリ・ルコック

自然史博物館がある。

サンギネール:アジャクシオから西へ10㎞程度の諸島。

グラヴォナ:アジャクシオにある地名、砂浜は地図で特定できなかった。

地衣類:菌類の中で藻類を共生させ自活できるようになった。コケに似ているが異な

る。ファーブルが熱病に罹った際にある地衣類を摂取し病状が緩和されたという書簡

が残っている (オークションに出品され貴重な書簡だったが不覚にも小生は逃した)。

 

歌うカタツムリ――進化とらせんの物語 (岩波科学ライブラリー)

歌うカタツムリ――進化とらせんの物語 (岩波科学ライブラリー)

  • 作者:千葉 聡
  • 発売日: 2017/06/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  

  

Études Géographie Botanique de L'Europe

Études Géographie Botanique de L'Europe

  • 作者:Lecoq, Henri
  • 発売日: 2010/04/06
  • メディア: ペーパーバック