昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

閑話(11)ー蛾のはなし

少し前、長い通勤の途中に何をするでもなく、ぼんやりと外を眺めていたが、急に

電車内で女性や高校生がキャーキャー言って騒いでいる声が聞こえてきた。

朝から何だろうと思っていると、どうやら大きめの茶色い蛾らしきものがバタバタと

不規則に飛び回っていたのが原因だったようだ。電車内に紛れていて逃げ遅れていた

のかもしれない。こんなものが顔にでもとまったらたまらないと思ったのだろう。

小生は虫好きが知人に多いせいか、蛾にそんなに大騒ぎしなくてもなぁ…と思って

眺めていた。虫好きの多い日本人でも一般的な人達の反応というのはこんなものなの

だなとあらためて感じさせられた。

 

その蛾はどうも何かよい匂いにでも引き寄せられたのか若い女性のスカートにとまっ

たりしたものだから、大騒ぎはしばらく続き大の大人まで右往左往していて退屈な

通勤時間をずいぶん楽しませていただいた。

その後、やっと蛾もどこかに行ったのか見えなくなり、皆さん静かになってやれやれ

と思っていたが、泰然と座席に座っていた小生は何となく乗客の視線を感じていた。

どうやら小生のズボンにその蛾はとまっていたらしく、降車時に離れて行ったので

やっと皆さんの視線の理由を理解することができた。

若い女性に毛嫌いされ、誰も寄り付かないようなおっさんに何とかくっつくことで、

蛾も自由になれたという話である。

 

よくあることだが、小生も小学生の頃に昆虫記を見てファーブルを好きになった。

もちろん九州の田舎だったので友人たちと勝手に山中に入り、クワガタなどの虫捕り

にもよく出かけた。山ほど蚊に刺されてもハチと遭遇しても恐いもの知らずだった。

一般的に小学生頃を分岐にして、大人になっても新鮮な気持ちを持って昆虫採集に

行ける人とそうでない人に分かれていくように思う。小生の場合は学校が忙しくなっ

たこともあるが、虫と触れ合う機会が減っていったのは、決してそれだけではなかっ

たように記憶している。

 

採集して自分で飼ってそして昆虫たちもいつのまにか時期がくれば旅立ってしまう。

感傷的な意味ではなくて、飼った生物の死を目の前で見て、だんだんと耐えられなく

なっていったように覚えている。自分が捕らずに山の中にいた方が良かったのだろう

なとか、子どもながらにそんなことを考えてしまっていた。

まぁ小生は見かけと違って、きっかけによっては肉も食べられなくなるような人間

なのだから、そんな虚弱な精神では虫屋などになれるはずもなかったのだ。それでも

ファーブル好きは変わらなかったので今も資料を集め勝手に勉強は続けている。

 

ファーブルも息子のポールが血がしたたるような肉を食べていると機嫌が悪くなった

そうである。意外に果物や甘いものを好んだそうだ。加齢とともに歯を失って肉を

食べられず悔しかったのかもしれないが、必ずしもそうとは言えない。

この世の食物連鎖、つまり他の生物の命を摂取しなければ回らないというシステムを

不備だと思っていたファーブル先生なのだから、肉を食するような光景そのものを

見たくなかった可能性もある。

ただ、ファーブルもコルシカから本土に戻って療養している時に、書簡の中でツグミ

を食べたという記載もあるし、昆虫も試食しているので、もとから食べてなかったの

ではない。途中からあまり好まなくなったという程度のものだろう。