昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

コルシカ島のファーブル:レノゾ山

忙しさのせいにしてなかなか筆が進まない状態だ。小生の体力で日曜まで働き続け

れば体調を崩すのは目に見えている。働けるというのは有難いが、いつ楽になるのか

分からないのでは気分が晴れることもない。

それでも先日、ファーブルの原稿が海外で出品されていたので、オークションに参加

しようとしたのだが、クレカ事前登録が必要なことに気付き慌てて登録しようとした

が拒否されてしまい、あえなく参加を見送ることになった。あらかじめカード会社に

このサイトでいくらくらいが落ちる予定です、と言っておかないとサイトによっては

カード会社は拒否してくる。あるある話だが前に利用したことのあるサイトだったの

ですっかり油断していた。それほど違法な引き落としが多いということなのだろう。

昨年のオークション惨敗に続く失態で残念だが、支払いが増えずに済んだと思って

良い方に考えることにしている。

 

さて、コルシカ島時代のファーブルの動向について引き続き調べているのだが、

コルシカ島にはレノゾという山塊がある。海抜2352mの高さで島のほぼ中央に位置

する、地図では岩だらけに見える場所だが植物相が異なるだろうから、島にいれば

登ってみようと思うのは当然である。この山にファーブルは2回登ったようで、

1850年7~8月頃には初登頂を果たしている。

初登頂時の行動については、「コルシカ島のファーブル:ルキアンへの書簡 (続) 」

参照。ファーブルからルキアンへの12、13通目の書簡内に山での記載がある。

 

バステリカという町がアジャクシオからレノゾ山へ行く途中にあり、このバステリカ

に馬車で向かっている時のこととポッツィの元羊飼いとの出会いを書き留めた草稿が

残っている。書きなぐったような筆跡だが、ファーブルのこのような文章は見ること

があまりないので珍しい。旅の経験からの着想で創作した可能性もあるが、少々脚色

した程度で実話ではないかと小生は思っている。ファーブルにとってもこの初登頂の

旅は印象深かったはずである。

内容はユーモア混じりのファーブルの個人的な記述で、出版されることはなかった。

イタリア語混じりで解読も困難な草稿だが、およその意味を汲み取って頂ければと

思う。

 

「コルシカ時代の未刊原稿から一部引用」 

ゾー・イオ!イイ!

醜く邪悪な獣め!

ザー・イイ。

バッカスの血。

狂暴なラバめ。

ザー・イ、イ!

そして、雨あられと鞭で打たれ、聞いてもおよそ理解できない罵りの列挙からなる

いびきにも似た音によって活気づけられた二頭のラバは、雲状に立ちこめる埃の中で

アジャクシオからサルテーヌ行きの馬車を引いています。

馬車、言い間違えました、弾力性のあるバネの上で道中あなたを静かに揺すり、

目的地でまだ寝ぼけたままのあなたを降ろす、あのしなやかでふかふかした乗り物と

混同しないようにしましょう。いや、それでは大きな間違いをすることになります。

むしろガラスの片目を皮膚に埋め込んだ非常に古い乗り心地の悪い乗り合い馬車、

とか、容赦ない太陽の焼け付く光線の下や秋のにわか雨の下でだんだん最初の容貌を

失い、灰色一色になってしまった素朴な形のカッコウを想像しましょう。

その短い車体をしっかりと雨を通さない脂っぽい革で覆われ、浸みこまされた脂肪の

臭いを発散するずんぐりとした初期の乗り物を目に浮かべましょう。

エレガントではありませんが頑丈であり、曲がりくねった回り道として深い峡谷の

中に落ち込んだり、険しい山腹をやっとのことでよじ登るようなことを交互に繰り

返す狭い道では、頑丈さが大事であってエレガンスなどというものは不要です。

 

ザ・イ・イー!

もし私が打撲傷なしに到着するとすれば、神に称賛を。私の左横の人はライフルの

銃身の支点を探していましたが、見つからなかったようです。

彼の頭の動きは馬車の振動に合わせて揺れており、最初の衝撃でこめかみに打撲傷を

負うのではないか、と私は心配になりました。私の右の人も同じく揺られていました

が、持参の食料を広げたところで私に丁寧に水筒を勧めてくれました。

ありがとうございます、ありがとう、と私はつっかえながら少しの水を飲みましたが

彼は自分が飲む番になると惜しそうに水筒を撫で、同じ水筒から飲んだところで、

ひとかけのパンとひとかけのチーズを食べながら私と会話を始めました。

見たところあなたはフランス人だね。

はあ、どうしてですか?

あなたは水筒の水の飲み方を知らないね。で、そんな出で立ちでどこへ行くのかね?

バステリカへ、すると私が膝の上に置いている灰色の紙がぎっしり入った箱を指しな

がら:あなたは税金の収税吏かい、ここにたくさんの書類があるね!

いえ、これらの紙は全然こわいものじゃないですよ、これはレノゾ山で花を採集する

ためのものです。

ああ!なるほど、つまりあなたはドクターでこの植物は何か医学のためなんだね。

いいえ、この植物は研究のためです、本で勉強するように植物を研究するのです。

私の答えに彼は仰天しました。

いくばくかの沈黙のあと。

本土では草を研究するのか、私は知らなかったよ。たくさんお金が儲かるのかね?

いいえ、単に植物を見て知る喜びですよ。

そうかそうか、だからあなたはレノゾに行くのか。

ポッツィでは羊飼いに会うだろう。

ほとんどの羊飼いは下山したけれど、あそこには多くの草がある。

私もポッツィの羊飼いだったから知ってるんだ。

 

注:

最初の擬声語のような言葉はラバの鳴き声かと思ったが、御者のラバへの独特な

掛け声のようだ。こんなに鞭を入れないとラバは進まなかったのだろうか。

ラバは雄のロバと雌のウマの交雑種、山道に適し頭も良いが機嫌を損ねると言うこと

を聞かない頑固な面があるという。

バッカスローマ神話の酒の神で暴れん坊。

レノゾ山はアジャクシオの東北東、直線で30㎞程度。サルテーヌはアジャクシオから

南へ30㎞程度で山の方向とは違う、さらに10㎞ほど南へ下ればボニファシオがある。

山の麓のバステリカに寄ってから戻るようにして南のサルテーヌへ向かう行路の馬車

を利用したらしいが、悪路と古い馬車で乗り心地は非常に悪かったようだ。

ポッツィは山付近の地名で水と緑が豊富な牧羊に適している地域。

ファーブルの持っていた灰色の紙は採集した植物を押し花にする用途だと思われる。

(昆虫記第6巻 ”私の学校” にルキアンが灰色の紙を持っていたと記載がある)

6巻同章ではモキャン=タンドンと一緒に登頂したことが書かれているが、これは

二度目のレノゾ登頂(1852年夏頃)のことである。

草:草本類 herbes

 

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コルシカ時代の未刊原稿より、

レノゾ山初登頂時、途中のバステリカまでの馬車旅が記載されている。

1850年夏以降に書かれたと思われる。

 

  

 

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