昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

昆虫学的回想録ーSouvenirs Entomologiques

ブログを読んで下さっている方からコメントを頂戴した。

仕事で疲れ果て、それでも好きなファーブルのことを深夜に調べながら

何とか掲載している者にとっては有り難いことである。

ファーブルとは比べようもないが、一人で何かをやり続けるというのは

最もファーブルから見習わなくてはならない点だと最近感じている。

 

アナーキスト大杉栄命名した「昆虫記」は正確に訳すと「昆虫学的回想録」

となる。小生はこちらの題のままでも十分に魅力を感じるのだが、

大杉のつけた書籍名は簡潔で注意も引きやすく優れているようだ。

 

昆虫記の第一巻が刊行されたのは1879年、挿絵も写真も入っていない。

難しい昆虫名だけでは読者にはよくわからないので、ファーブルの友人たちは

絵を入れることを強く勧めたようだが、ファーブルは譲らなかった。

絵の才能もあったファーブルは、それこそ中途半端に下手な挿絵が入ることは

余計に混乱するのでどうしても許せなかったらしい。

さすが頑固なファーブル先生である。

 

それにしても、1867年刊行の「植物記」の方は豪華な書籍で銅版画もきちんと

入っているのだから、なぜ「昆虫記」には絵を入れなかったのか疑問は残る。

1870年の普仏戦争や政治的混乱の影響があって節約を余儀なくされたのだろうか?

刊行2年前の1877年9月14日にはオランジュで最愛の息子ジュールを失い、

ファーブル自身も翌1878年にはショックから肺炎(肋膜炎という説もある)に

罹り死線を彷徨っている。

これでは挿絵云々など到底考えていられる状況ではなかったのかもしれない。

 

危うく息子の後を追うところだったが何とか踏みとどまったのは、ファーブルの

持って生まれた強靭な肉体と精神だった。コルシカ時代にはマラリアからも生還

した免疫力を持っているのである。

しかし、回復の一番の原動力になったのは、自分が研究してきた成果を何とか形に

したいという強い意志があったと小生は考えている。

それは息子ジュールが手伝ってくれた大切なものであり、何としても出版した

かったはずなのである。

 

昆虫記はまさにジュールに捧げられたものだ。

その想いは昆虫記第一巻の巻末付記にファーブル自身が書いている。

以下、完訳ファーブル昆虫記 集英社版から一部引用する。

 

 可愛い息子よ。あんなに小さい時から熱烈に花と昆虫を愛し、歓喜にひたって

 いたお前は、私のよき協力者であった。(中略)

 お前のために私はこの本を書くことになっていたし、その内容を話すと喜んで

 くれていた。そしてお前自身がいつかこの本を書き継いでくれるはずであった

 のだ。それなのに、ああ、お前はより良き住み処に旅立ってしまった。(中略)

        オランジュにて。1879年4月3日 ジャン=アンリ・ファーブル

 

素晴らしい文章なのでぜひ全文お読みください。

ファーブルは息子がより良き住み処(か)に旅立ったと書いている。

原文は une meilleure demeure となっていて、”より良い住まい”とはあの世のこと

を意味している。魂の不滅と来世を信じるファーブルは病気や悪などの無い世界を

思い描いていた。つまり自身が墓石に残した格言にある通り、 ”より高貴なる生” を

送ることができる場所なのである。(ファーブルの墓の謎ーファーブルの格言参照)

 

昆虫記を書き続けることでファーブル自身も癒されたのかもしれないのだが、

もしジュールが元気でファーブルを手伝い続けていればどうだったのだろう。

また違った昆虫記になっていたのかもしれない。

しかし早逝してしまったからこそ、彼に捧げるためファーブルは昆虫記を書き

続けることができたのかもしれないとも思う。

 

アヴィニョンでアカネ染色の工業化がうまく行っていればどうだったのだろう?

植物の講義で迫害を受けず町を追い出されていなかったらどうだったろう?

アルマスという楽園を得て、晩年まで研究に身を捧げることなどできたであろうか。

そのひとつひとつが皆つながっているように小生は感じており、

そして今、「昆虫記」を読むことができるという恩恵を戴いているのである。

 

f:id:casimirfabre:20190818114305j:plain

「決定版昆虫記」1914~24年刊行

一般販売用とは別の和紙使用の30部の中の1セット

紙のサイズは一般に比べ、縦5cm、横3cm程大きい。

写真は第1巻表紙部分、違いはサイズ以外に昆虫記の文字と昆虫の絵が金色である。

中の写真も添付されたものが入っていて鮮明で美しい。

f:id:casimirfabre:20190818114450j:plain

昆虫記にファーブルのサイン入りがあるのは知っていたが

なかなか市場には出て来ない。 

1914年の発刊に合わせてファーブルは第1巻にのみサインしたようだ。

鉛筆で引かれた目安の線の上にサインをしている。

逝去前年であり、視力も白内障で低下しサインも弱々しくて小さい。

既に2度目の妻も2年前に亡くなっており、この年に弟フレデリック、息子エミール

も逝去している。ポールや甥も出征しファーブルにとっては厳しい年だったはず

なのだがよく出版にこぎつけたと思う。

f:id:casimirfabre:20190818114356j:plain

所蔵のセットは30部の内の12番本。旧蔵者の蔵書票などは見当たらない。

31~110番はオランダ紙を使用しており、こちらにもサインを入れているのは

確認できているので、計110セットの昆虫記がサイン入りで存在するはずなのだが、

市場に出たのは3回しか見ていないので現存はかなり少なそうだ。

1回目に見たのはこのセット、2度目は後で気づいて入札できず。

3回目は高額で番号もかなり後続だったので見送った。

  

大杉栄全集〈第12巻〉

大杉栄全集〈第12巻〉

 

 

完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下

完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下

 

  

虫の文学誌

虫の文学誌