昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

閑話(14)ー病気を経験するということ

7月にブログを書いてから6ヵ月も過ぎてしまった。

空いた理由はいろいろあるが、大きな病気を経験したことが特に大きい。

体調は夏頃から特別良いわけでもないが、目に見えて悪いということもなかった。

いつも秋に体調を崩すので、まぁ今年は無理しないでのんびりしようと思っていた

のだが、11月の某日、深夜に突然吐き気が我慢できなくなり、無意識に玄関の方まで

行って嘔吐したが、これが大量の吐血だった。意識が遠のき一段低くなっている土間

の方に頭から突っ込んだ。あとで分かったがこの時に眼窩底骨折もやったようだ。

吐血の心当たりはあり、常に頭の片隅に不安を持って以前から生活していたが、

まさか本当にこの日にこんな事態になるとは思いもしなかった。

 

吐血というと怖ろしく感じるが痛みはないし恐怖感もなかった。

何なら一時的だろうが吐いたおかげですっきりしている。ただ血圧が下がっている

せいか眠くなる。この時に声をかけてもらわなければ、そのまま玄関であの世に行っ

ていたのではないかと思う。なぜか自分で大声で人を呼ぶでもなく倒れていた。

ちょっと右に行くか左に行くか、あの世かこの世か、人の人生なんぞはきっと紙一重

のことも多いのだろう。人間も動物もみな思いもしなかった事故や病気で、この世を

急に去るのだ。セネカの言う通り、人によって遅い早いはあるがいずれ我々は順番に

あの世へと押し出されていく身なのである。

そう思うと悪性の病気でも親しい人と別れを伝えられる場合の方が救いがあるのでは

ないかとも思う。痛み・苦しみは辛く病気になったことへの葛藤は耐え難いだろうが

突然居なくなるよりは良い点もある気がする。

 

小生の場合は家人が物音にすぐ気付き救急手配をしてくれて、また良い救急隊員の方

に当たり、さらに搬送先の病院では深夜だったが幸運にも止血に長けた専門医に当た

るという幸運にあずかった。それでも出血はなかなか止まらず、救急室はあちこち、

天井まで朱に染めたらしいのだが何とか救って頂いた。

普段、クジなどは当たったこともないが、こんなピンチの時に一番良い運をもらう

というのはどういうことなのか。まだこの世にいて働けという意味なのか?

それとも誰か小生の肩あたりに守護してくれる人が付いているのか?

昨夏にずっと行けてなかった義父母のお墓参りができたのが幸運を招いたのか…

今まであまり徳の高い人生を送ってきたとは言い難いが、単なる偶然とは思えず、

生き残ったのには何か理由があるのだろうと感じている。

 

小生でも、本来は自分だけのもので終わってしまうのでなく、他者に伝えておくべき

経験や知識など多少持っている。ファーブルについてもそうだ。資料ばかりたくさん

あるが、小生がいなくなれば他人がみても何の資料なのか分からないまま処分される

可能性が高い。多くの人はいつ自分があの世に行くなど分かっていることは稀で、

伝えていくべきことの多くが伝わらないままになっているのだろうなぁと今回は考え

させられた。

 

パソコンも不調で国内外を問わず連絡先の分からなくなってしまった方が多数いる。

残念だが仕方ない、ご縁があればまた連絡もつくだろう。

一度あの世に行きかけると、もう小さなことはどうでも良くなってくる。

そして、蒐集ばかり今までしてきたが、そろそろ収支を健全化する時期なのだろうと

思い、余裕があれば購入よりも今は返済に充てている。

今までなら間違いなく入手しようとしていたはずの資料に最近もいくつか遭遇したが

あまり無理しないようにしている。一度倒れたのだから仕方ないことだと思う。

手元にあって紹介できてないものも多いので、それらを中心にご紹介していければと

思っている。